武家屋敷通り

(所要時間:1時間30分~2時間)
元和元年(1620)角館地方を領していた芦名義勝によって造られました。
その後は佐竹北家に受け継がれ、町割り400年を迎えます。
武家屋敷が立ち並ぶ通りは、「内町(うちまち)」と呼ばれ、現在も江戸時代末期時の屋敷割や、母屋・門・蔵の屋敷構え、枡形など武家町の特性をよく残しています。国の重要伝統的建造物保存地区に指定された、佐竹北家の藩政時代を今に伝える武家屋敷や町並みを角館駅から散策できるコースです。


JR角館駅 スタート

東京駅から秋田新幹線で6駅です!!

約10分
角館郵便局前

駅前の通りを道なりに真っ直ぐ行くと、正面に角館郵便局が見えてきます。
郵便局のT字路を右に曲がってください。

約5分
武家屋敷通り入り口

郵便局から5分ほどで武家屋敷通りが見えてきます。

約10分 小田野家 (市指定史跡)

明治三十三年(1900)の大火で江戸時代の屋敷は類焼しており、現在は火災後に建てられたものです。間取りは近世武家住宅そのものですが、全体的に簡略化されています。
玄関土間の上りカマチで身分を区分するという中級武士の屋敷造りとなっています。代々武芸に優れ、かつては門内右側に林崎流居合の道場がありました。
「秋田蘭画」で有名な小田野直武がでた小田野家は、今宮氏配下から佐竹北家の家臣となった家柄です。その分家が武家屋敷に今も残る小田野家です。

約1分
約10分 河原田家 (市指定史跡)

中級武士の河原田家は、構造的には書院造り風の座敷、土縁など青柳家とほぼ同じで、点在の建物は明治二十四年(1891)に裏町から現在の東勝楽丁に移転されました。藩政時代の建築をそのまま踏襲しています。
川原田家は文治五年(1189)頼朝が陸奥を征した時、恩賞として会津伊南郷をあたえられ、戦国時代に芦名氏の譜代として、さたに佐竹北家の家臣となって廃藩まで仕えた家柄。
屋敷内には様々な樹木が植えられ、地表を覆う苔を水流に見立てると、庭全体が山水画として楽しめるよう造られています。

約3分
約10分 岩橋家 (県指定史跡)

岩橋家の三蔵は会津の芦名家に仕えた家臣で、主家の浮沈の運命に翻弄されながら、佐竹北家の組下となり、禄高も減少したものの中級武士の家の様式をとどめています。
切妻造り、木羽葺き屋根の岩橋家は、もとは萱葺き屋根で享保年間から現在地にあり、明治三十年頃に葺き替えられたものです。
屋敷に植えられた樹齢300年前後と推定される天然記念物のカシワの木は、内陸部では非常に珍しいとされ武家屋敷通りのシンボルとなっています。

約3分
約10分 松本家 (県指定有形文化財)

佐竹家臣・今宮家組下の松本家は、小人町の北側にある下級武士の住居です。
主屋は茅葺き屋根で、正面庇は杉皮葺きの石置き屋根になっています。門柱を二本立て、柴垣で屋敷を囲んだ簡素な形式になっています。離れに寝室がある屋敷の建築年代は、幕末ごろといわれています。
座敷ではイタヤ細工の実演を見ることができます。

約5分
約30分 青柳家 (県指定史跡)

広い敷地の青柳家はもともと芦名氏譜代の侍でしたが、芦名氏断絶後、佐竹北家の家来となった家柄です。
道路に面して、のぞき窓のついた黒塗りの「簓子塀」が続き、八双金具のついた薬医門には万延元年(1860)大工棟梁柴田岩太郎銘の記された矢板があります。
武家屋敷の建築様式を余すことなく伝えるこの家屋は、寄棟萱葺き屋根の母屋や薬医門、蔵、塀など重厚ななかに雅を感じさせる印象深い上級武士の屋敷です。

約2分
約20分 石黒家 (市指定史跡)

武家屋敷通りの北端に位置する石黒家は、上級武士の格式高い屋敷で、江戸時代そのままの姿で主屋、門、塀、土蔵などが保存されています。道路面にはのぞき窓を付けた黒板塀がめぐり、現存する武家住宅の中でも最も古いものです。
薬医門には文化六年(1809)4月27日銘の矢板があり、その古さと重厚さをしのばせています。門を入ると正玄関と脇玄関があり、二つの玄関を持つことは身分の高い武士の証でした。主屋は萱葺きで、庭には水に見立てた苔が簡素な佇まいのなかに武家の格式を漂わせています。

約1分
約20分 旧石黒(恵)家

旧石黒(恵)家は、昭和10年に設計・建築されており、武家屋敷「石黒家」の分家にあたります。
在来の和風住宅に洋風を加味した西洋間を加え、玄関を共通にして連続させています。江戸から明治・大正・昭和と時代が移り、それと共に住宅の形態も変遷している様子をうかがい知ることが出来る貴重な文化遺産です。

約25分
JR角館駅 ゴール