角 館
武家屋敷通り
内町(うちまち)
元和6年(1620)江戸時代のはじめ、芦名氏により大規模な都市計画が実施され、その後は佐竹北家の城下町として栄えた角館。 武家屋敷が立ち並ぶ通りは、「内町(うちまち)」と呼ばれ、現在も江戸時代末期時の屋敷割や、母屋・門・蔵の屋敷構え、枡型など武家町の特性をよく残しています。
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角館武家屋敷通り
旧 石黒(恵)家
旧石黒(恵)家は、昭和10年に設計・建築されており、武家屋敷石黒家の分家にあたります。 内部は、在来の和風住宅に洋風を加味した西洋間を加え、モダンな和洋折衷の造りが特徴です。 江戸~昭和と時代が移り、それと共に住宅の形態を変遷している様子をうかがい知ることが出来る貴重な文化遺産です。
もう一つの武家屋敷通り
田町武家屋敷通り
芦名(あしな)家が1620年に町造りをした時に、内町の武家屋敷群とは別に、町の南側地区「田町」に80旗の武士が住む事になります。彼らは、秋田藩主佐竹氏直臣から禄を貰った武士でした。 1656年佐竹北家が角館を治めるようになって、 内町に居を移す者、佐竹北家から禄を貰う者と分れていきます。 田町武家屋敷は、国の保存地区に指定されていませんが、昔から残る黒板塀、春の
角館の桜
桜の由来-シダレザクラ編-
今からおよそ360年ほど前の藩政時代にさかのぼります。 角館佐竹家の2代目、義明の妻がお輿入れの際に京都三条西家から持ってきた嫁入り道具の中に、3本の桜の苗木がありました。 それが元になり長い年月を受け継がれ、今日まで残る「角館のシダレザクラ」になったと伝えられています。
市指定無形民俗文化財
角館の火振りかまくら
【開催日:毎年2月14日】 「角館の火振りかまくら」は宮中行事の左義長の名残を伝え、佐竹北家時代から行われてきた小正月の伝統行事です。 雪で作ったかまどの中でおこした火を1メートルほどの縄の先に結えた俵につけて円形を描くように振り回し、火で身体を清めながら無病息災や家内安全を祈ります。 雪景色に赤く浮かぶ火の輪と会場に作られた高さ10メートルほどの天筆がゆらめ