仙北市って??

仙北市は平成17年9月20日に旧田沢湖町、旧角館町、旧西木村が合併し、誕生しました。
仙北市は、秋田県の東部中央に位置し、岩手県と隣接している地域です。ほぼ中央に水深が日本一である田沢湖があり、東に秋田駒ヶ岳、北に八幡平、南は仙北平野へと開けています。地域の約8割(892.05平方キロメートル)が森林地帯で、奥羽山脈から流れる河川は、仙北地域の水源となっています。気候は、冬季には全地域で平均気温が氷点下を下回る厳しい寒さですが、地域の南北間では気候、降水量とも差があります。総面積は、1,093.56平方キロメートルで、秋田県全体の9.4パーセントを占めています。

 

【一般社団法人 田沢湖・角館観光協会について】
当協会は仙北市の伝統、文化や歴史、景観、自然、産業・技術などの支店を活用し、観光事業の振興を図ることにより、地域文化の維持発展及び、地域経済の活性化に寄与することを目的として、活動しております。
事務局:秋田県仙北市角館町上菅沢394番地2 スタシオン内

【田沢湖・角館観光協会はDMO登録されました】

観光地域づくり法人(DMO=Destination Management/Marketing Organization デスティネーション・マネージメント・オーガニゼーション)は、地域の「稼ぐ力」を引き出すとともに地域への誇りと愛着を醸成する「観光地経営」の視点に立った観光地域づくりの舵取り役として、多様な関係者と協同しながら、コンセプトに基づいた観光地域づくりを実現するための戦略を策定するとともに、戦略を着実に実施するための調整機能を備えた法人です。田沢湖・角館観光協会もDMOの登録を目指し、2021年11月に登録が決定しました。

観光関係者のみならず、多様な業種や自治体とも連携しながら稼げる地域を目指した体制強化を進めていきます。また、各種データの継続的な収集・分析を行いながら、観光地域の発展的な事業を行っていきます。

事業の成果や課題については精査・検証の上、地域の皆さまに理解をしていただくよう努めます。

〈仙北市への訪問者アンケート結果はこちら〉


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観光の事なら、なんでもお気軽にご相談ください!

 

JR田沢湖駅構内 朝8時30分~夕方5時15分 TEL0187-43-2111 FAX0187-43-2077

 

田沢湖観光お役立ち情報

市内観光タクシー

経験豊富なドライバーが仙北市内はもとより、県内各地、隣県も安心安全な運転でご案内いたします。

レンタカー

田沢湖周辺には観光名所がいっぱい!広範囲の観光にオススメです!

 

 


 

JR角館駅を出て右側の白い建物 9時~18時(10月~3月は17時30分まで)
TEL0187-54-2700 FAX0187-54-1755
 

 

角館観光お役立ち情報

かくのだて歴史案内人組合

ガイドブックでは知ることのできない町の魅力を余すことなくご案内

人力車

徒歩とはひとあじ違う速度と目線!旅の贅沢人力車!

市内観光タクシー

観光の見どころや特産品売り場、おすすめのお食事処にご案内!

レンタサイクル

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レンタカー

角館周辺には観光名所がいっぱい!広範囲の観光にオススメです!

 


 

〒014-0592 仙北市西木町上荒井字古堀田47 8時30分~17時15分 TEL・FAX0187-42-8480

 

地域の情報

●田沢湖地域

田沢湖一帯からは多くの石器や土器、堅穴住居跡などが発見されており、古代から狩猟や農耕を営む人びとが住んでいたことがわかります。江戸時代に入り、慶長7年(1602年)、常陸(現在の茨城県)から秋田に国替えとなった佐竹氏が秋田六郡を領有すると、南部藩と秋田藩の国境の生保内には関所が設けられました。18世紀に入ると、田沢湖の水を利用するなどして新田開墾が進み、林政改革も行われました。また、全国に誇る馬産地の形成も進みました。
明治22年の市制・町村制の施行により、生保内村、田沢村、神代村が生まれました。
昭和15年、電源開発と農地開拓のため玉川の強酸性水を田沢湖へ導入、田沢湖の固有種とされるクニマスなどの魚が死滅しましたが、現在は、酸性水の中和処理事業により、魚影が見られるようになっています。
昭和31年9月、生保内町(昭和28年町制施行)、田沢村、神代村の3町村が合併して「田沢湖町」が誕生し、今日に至っています。

●角館地域

角館町は城下町として発展してきました。仙北、北浦地方では応永年間(1394~1428年)頃より戸沢氏が勢いを増し、戸沢盛安の代には豊臣秀吉から角館の地に4万4千石の大名として認められました。関ヶ原の戦い後の大名配置換えにより戸沢氏は常陸へ(後に新庄へ)、秋田には佐竹義宣が入り、角館にはかつて会津の雄であった名族芦名義勝(佐竹義宣の弟)が佐竹氏より1万5千石を与えられ治めることになりました。
芦名氏は新しい城下町建設に取組み、武家町と町人町に分けられた町並みは400年余りを経た現在もほとんど変わっていません。その後、芦名氏は3代で断絶し、佐竹義隣(佐竹北家)が所預として入部し、幕藩体制の終る明治まで佐竹氏の時代が11代2百年余り続きました。
明治22年の市制・町村制の施行により、角館町、中川村、雲沢村、白岩村が生まれ、昭和30年3月に4町村が合併して「角館町」が誕生し、今日に至っています。

●西木地域

安貞2年(1228年)、門屋に城を築いた戸沢氏は、その後、応永30年(1423年)、角館に入城し、慶長7年(1602年)、21代戸沢政盛のとき関ヶ原の戦いの功績で外様大名から譜代大名に格上げされ、常陸へ(後に新庄へ)移るまで、約4百年に渡りこの地域一帯を治めていました。戸沢氏の伝統は「戸沢ささら」として伝承されています。
江戸時代に入り桧木内地域から阿仁地域にかけて、多くの鉱山で銅などが採掘されました。上桧木内地区に伝わる小正月の伝統行事「紙風船上げ」は、安永2年(1773年)、当時の秋田藩から鉱山指導に招かれた平賀源内が伝えたものと言われています。
明治22年の市制・町村制の施行により、西明寺村と桧木内村が生まれ、昭和31年9月、この2村が合併して「西木村」が誕生し、今日に至っています。