安藤醸造 北浦本館
角館より秋田市寄り旧国道46号線にある北浦本館は、さらにご満足いただける店づくりをと当家の全商品や特産品など秋田ならではの味わいを取り揃え平成8年秋にオ
- 伝統・文化 -
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角館より秋田市寄り旧国道46号線にある北浦本館は、さらにご満足いただける店づくりをと当家の全商品や特産品など秋田ならではの味わいを取り揃え平成8年秋にオ
時代を超えて伝統の味を静かに醸し出しています。当店は、四季折々の趣にあふれる歴史の町角館に生まれ、醸造業を創始して170余年になります。これまで培ってき
2つの源泉をもつ渓流沿いの一軒宿。女性客に人気。
地元田沢湖で養蜂業を従事し、国産蜂蜜・世界の蜂蜜・はちみつ加工食品やプロポリス・ローヤルゼリーの健康食品も人気です。はちみつを使用したお菓子の製造販売
角館町では最も古く1450年の創建で、山門は秋田県有形文化財に指定されています。仁王像はドンパン節の作者円満造(えまぞう)の作。また白岩焼による千体仏も見
佐竹公がお国替えの時、佐竹家中の士から伝授されました。行列の先頭が悪魔払いのために、木製の楽器を振りながら歩いたものに、その後、農村の獅子踊りが加わっ
佐竹公がお国替えの時、先達を勤め、天明7年当時角館町に在住する佐竹北家の今宮弾正組下(田町衆)がささらを摺っていました。組頭は松本六左エ門でした。そし
佐竹公がお国替えの時、仕える人々が各村に教えたと言われていますが、ししおどりと一緒になって出来たものと思われます。下川原ささら(県指定無形民俗文化財)
佐竹公が秋田にお国替えの時、行列のお供先をつとめて秋田入りしたと伝えられています。一方、広久内ささらは、伝承者の間では、南部系のささらであるとも伝えら
金峰神社きんぽうじんじゃ参道の樹齢350~800年以上の杉並木(県指定天然記念物)が素晴しいです。仁王門は安政4年建立され、杉の巨木一本で彫刻された仁王像が
武家屋敷通りの最北に位置し、その屋敷の形態からも当時の上級武士であったことが明らかにされています。子孫の所有する屋敷間取り図をもとに平成12年に復元され
天保2年(1831年)の建築といわれる上層民家です。この地方独特の厩と農作業の棟が、住居とL字型につながっています。 ※なぎは弓+剪
佐竹公が秋田にお国替えになった時、先達が厄払いとして道中を舞ってきたものが伝わったといわれている、一人立ち三頭獅子です。ささらにはお国替えの時に伝わっ
漢槎宮(かんさぐう)は浮木神社(うききじんじゃ)とも言い、田沢湖畔の潟尻に立つ、白木造りの現代的な感覚の社殿です。流れついた浮木(大木が湖面から2メート
旧西木村誕生40周年を契機に創作された「戸沢氏祭」を夏祭りの一貫として定着させたものです。毎年、西木町内外の家族や帰省客、そして観光客の方々で賑わいを見
小山田のささらは戸沢系ですが、歌詞はほとんど違っています。安貞2年(1228年)、戸沢兼盛が門屋城を修築して住んでいましたが、以前は上桧木内に住み、獅子踊
昭和15年、国策によって玉川の強酸性の水を田沢湖に導入し貯水ダムとしたため、田沢湖の多くの魚が死滅しました。滅びゆく魚と湖神たつこ姫の慰霊のため、周辺
御座石は湖畔にござを敷いたような平坦な岩場です。昔、秋田藩主が田沢湖遊覧の際、腰をかけて休んだと伝えられます。湖神たつこ姫を祭る神社がすぐ上にありま
御座石神社という社名は、慶安3年(1650年)に秋田藩主佐竹義隆公が田沢湖を遊覧した際、腰をかけて休んだことに由来します。 朱塗りの鳥居のそばには、1本の
起源は今から260年前の元文年間にさかのぼり、秋川戸島郡(今の秋田市河辺)岩見の住人岩見某がこの舞を好み家中に奨励したといいます。阿部道寛等が伝承を受け
明治10年5月、大火により被害住家が松葉・相内両集落併せて14棟(当時の松葉では15戸の家があった)を失い、夕方になってようやく静まった。この年に再び火災を
カンデッコとは、朴(ほお)の木で作った小型の鍬のことで、このカンデッコとクルミの木で作った男根をしめ縄の両端に結んで一対にし、これを神木である桂(市指
武者絵や美人画が描かれ、灯火をつけた巨大な紙風船が、きらめく星々のごとく真冬の夜空に舞う年中行事です。この行事の始まりを書き溜めたものはありません。伝
地域の交流拠点としてはもちろんのこと、国道105号線を往来する観光客やドライバーの休憩、立ち寄りスポットとなっています。24時間利用可能な公衆トイレを併設
佐竹公が秋田へお国替えの時、伝えられました。伝承の系統に、関東系のささらではなく、南部雫石から宝仙台を経て戸沢に伝えられた南部系説と、「ある長者の若勢
かつての商人町 「外町(とまち)」は、武家屋敷が立ち並ぶ「内町(うちまち)」と対照的に、商家などの町並みが続き、歴史を感じさせます。 古い建物や土蔵も
かつての武士の生活空間 元和6年(1620)江戸時代のはじめ、芦名氏により大規模な都市計画が実施され、その後は佐竹北家の城下町として栄えた角館。 武家屋敷