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伝統・文化
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西 木

雪解けを待ち侘びて ピンクの花が絨毯のごとく咲き誇る

かたくり群生の郷開園

カタクリは地元では「カタッコ」「カタンコ」と呼ばれるユリ科の多年草。特産の西明寺栗を栽培する栗林に自生しており、その規模は20ヘクタール(東京ドーム4.2個分)にも及びます。 これほどまでに群生した理由としては、栗の木の剪定や間伐により日当たりが良くなり、また徹底した肥培管理で堆肥が群生に適した栄養分になっているためと思われます。カタクリが発芽してから開花するまでには約8年かかり、また種子は

西 木

市指定無形民俗文化財

小山田ささら

小山田のささらは戸沢系ですが、歌詞はほとんど違っています。 安貞2年(1228年)、戸沢兼盛が門屋城を修築して住んでいましたが、以前は上桧木内に住み、獅子踊も戸沢氏と共に渓谷を辿って南下し、小山田の観音堂の祭礼にその家臣が踊っていました。慶長6年小山田の赤倉善助がこのささらの奥義を伝承され、民間のものとして毎年祭礼の時に踊ったといわれています。

田沢湖

滅びゆく魚と湖神たつこ姫の慰霊のため建立

姫観音

昭和15年、国策によって玉川の強酸性の水を田沢湖に導入し貯水ダムとしたため、田沢湖の多くの魚が死滅しました。滅びゆく魚と湖神たつこ姫の慰霊のため、周辺寺院の住職達が中心となって淨財を募り建立しました。像は湖に向かって立っています。

角 館

市指定無形民俗文化財

堂野口ささら

佐竹公がお国替えの時、仕える人々が各村に教えたと言われていますが、ししおどりと一緒になって出来たものと思われます。 下川原ささら(県指定無形民俗文化財)規模を小さくしたもので、まったく同工のものであり、堂野口ささらは活気あり勇壮で知られています。 江戸時代、白岩地方でささら踊りを始めた理由や経緯などについて詳しく記した縁起書は、国見に伝授した縁起書と内容が大きく異なり、非常に貴重なもの

西 木

戦国武将戸沢氏にちなんだ祭典

戸沢氏祭

旧西木村誕生40周年を契機に創作された「戸沢氏祭」を夏祭りの一貫として定着させたものです。 毎年、西木町内外の家族や帰省客、そして観光客の方々で賑わいを見せます。